この「もう一度」という言葉は、震われないものが残るために、震われるものが、造られたものとして取り除かれることを示している。
世と交渉のある者は、それに深入りしないようにすべきである。なぜなら、この世の有様は過ぎ去るからである。
天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。
わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。
第七の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、大きな声々が天に起って言った、 「この世の国は、 われらの主とそのキリストとの国となった。 主は世々限りなく支配なさるであろう」。
ああ破滅、破滅、破滅、わたしはこれをこさせる。わたしが与える権威をもつ者が来る時まで、その跡形さえも残らない。
天の万象は衰え、 もろもろの天は巻物のように巻かれ、 その万象はぶどうの木から葉の落ちるように、 いちじくの木から葉の落ちるように落ちる。
山は移り、丘は動いても、 わがいつくしみはあなたから移ることなく、 平安を与えるわが契約は動くことがない」と あなたをあわれまれる主は言われる。
見よ、わたしは新しい天と、新しい地とを創造する。 さきの事はおぼえられることなく、 心に思い起すことはない。
「わたしが造ろうとする新しい天と、新しい地が わたしの前にながくとどまるように、 あなたの子孫と、あなたの名は ながくとどまる」と主は言われる。
「ユダの総督ゼルバベルに告げて言え、わたしは天と地を震う。
被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。
かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。
さらに、 「主よ、あなたは初めに、地の基をおすえになった。 もろもろの天も、み手のわざである。
しかしキリストがすでに現れた祝福の大祭司としてこられたとき、手で造られず、この世界に属さない、さらに大きく、完全な幕屋をとおり、
この地上には、永遠の都はない。きたらんとする都こそ、わたしたちの求めているものである。
人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。
すると、御座にいますかたが言われた、「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」。また言われた、「書きしるせ。これらの言葉は、信ずべきであり、まことである」。